生きる意味 ~羊と鋼の森を読んで~

僕は後悔している。

 

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今に始まった話ではない。人生に後悔している。

 

なんでこんなにぼくは本を読んでこなかったんだろう。年末の時点では、何も実感もなかったけどそう思っていた。来年は本を読まなきゃと。でも新しい年が始まってから2週間、自分の過去の態度、姿勢に歯がゆさしか感じない。物語ってとても美しいじゃないか。それがただ僕の興味のある内容だったからかもしれない。ピアノの話だったから。でもこうやって風景を想像しながら読み進める物語、小説の味というのをほんの少しだけ知れた気がする。

 

読むという行為には二つあって、それを口に出して読む、それを目で追って読むということがあると思う。前者は僕は大好きだ。それは教科書の音読に始まり、中学校の英語、それは高校までも。大学に入ってからはあまりそういう機会を得ることはなくなったが、やはり与えられた教科書を声に出して読むことには何ともわからない快感があった。

 

口に出すと何となく自分の考え方も透けるような気がして、頭の整理にもなる。最近新しい感覚を得たように感じる。人に悩みや相談事をしたり、普段何の気なくしゃべっていたことから、ああ、僕はこういうことを考えているんだとなることが多々ある。それはできていないことも含めて、理想形であったり、自分が後悔している過去であったり、その形態は様々だ。そういうことを脳内のみでやりくりするのではなく、伝えるということをすることで初めて開けるものがあるように思う。

 

だとしたら、後者の方、すなわち目で追って読むことも僕は好きなんじゃなかろうか。無理やりにでも言い聞かせたくなってきた。まずもって、僕は想像することが好きだ。普段の想像のもとは自分の行動にある。僕がこういうことをしてみたい、過去の自分がこうであればな。じゃあその起点を本の中の主人公に置き換えてみれば、もっと幅広い想像が、できるんじゃないだろうか。それができたらもっと楽しいんじゃないだろうか。いまはそういう感覚を強く持っている。

 

だから、今までは全くできていなかったけど。

 

本を読んでいろんなことを感じたい。

 

その一発目;宮下奈都著 羊と鋼の森

 

調律師にまつわる物語だ。調律師とは、どういう職業だろう。一見、ピアノの音を揃えるだけと思われがちだ。しかしそこには、調律師と依頼人との話から生まれる音がある。依頼人がピアノを弾くことによって輝きたいという思いがある。それに寄り添えるのはどういう調律だ。そこに対峙するようになった一人の人間の生きざまを描いた作品。

 

まずもって、描写の鮮やかさに僕は打たれた。広がっていくピアノの世界、どこか冷たさを覚える鋼の森に羊の温かみがふんわりと漂うような感じ。決して羊ということは本文中では出てこないものの、どこか森林の描写にピアノが時としてもつ凛とした表情とやさしさとを両立させた表現によって、僕がピアノの作り出す世界観をより深く想像できるようになった気がした。

 

主人公が僕に似ている部分があるのも気になった。こだわりがないところとか。でも、それだと調律はどうにもならない。そこをカバーできるのは実力があるからだと先輩調律師が言っていたとき、僕は自分のことのように感じてしまった。こんな自分にひきつけて読むことがはたしていいものなのか。わからないけれど。ぼくだってこだわりがないような気がして、少しこの見方とは違うが、何事をするにしてもそのもとに考えがないというところは間違いがないだろう。そこを補填するには実力で今しなければならないことを抑えきることが大切だと。勉強にも同じことが言えるのかもしれない。人間力にも?それができるようになれば、もっと自分ができることが増えて自信がつくだろうし、変に考え過ぎることがなくなっていくのではないかと思う。

 

考え過ぎるってなんだろう、と。僕の場合は自分がいいと思う考え方にまとまりがないことがすべての原因だとふと今思った。自分はどういうものの考え方なのか、こういう場合は自分はどういう物事の進め方を取るのか、それに対する真剣な基準を持っておらず、その場で口先だけで軽々と物事をしゃべっているに過ぎないんじゃないか。そういう感覚に陥った。そんなことしているから考え過ぎて、後からアホだなと思ったりするんじゃなかろうか。いや、じゃあ持っておくべきは何か。決まり切っている。根本的な自分の考える基準を持つというところだろう。これに気づけて良かったのか。本はそのヒントを得られるものじゃないんだろうか。じゃあもっとたくさん本を読んで何が自分んの思う正解かをしっかり見抜くことが大事なんじゃないか。

 

話が横道にそれ過ぎた。

 

僕がこの文章で一番好きな表現を取り上げるとしたらここになるだろう。

 

「早くに見えることよりも、高く大きく見えることの方が大事なんじゃないか」

 

人間関係の本質を言い表している気がした。そして僕に間違いなく足りない視点な気がして、はっとさせられた。この視点を持っていなかったから僕は今までの人間関係において決してうまくいっていなかったんじゃないか。

 

僕は人生に後悔している。