あれれ

あれれ

 

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あれれ。気が付いたら、僕は本が好きになっているではないか。

 

あれれ。どうした、何があった。

 

あれれ。日々沈んでたんじゃなかったんか。

 

あれれ。なんかポジティブになってるじゃないか。

 

最近、数年ぶりに新しいゲームを始めた。とはいっても、オセロである。オセロのAIがまあ強い。ほんとに打ち負かすことが本当にできない。そこで自分が失敗することに対する耐性をつけようと思った。そうしたら、意外とできる。意外と。失敗してはあ、ってなるかなと最初は思っていた。実際は違った、僕は失敗してもまあいいかどうせ次があると考えていた。こんなに考え方をすぐに変えようと思ったときに変えられるのかと逆に自分で驚いた。その速さが自分で見ても異常なように思う。ただ、これは確実に今まで持っていなかった思考だし、そこで得た感覚を今度は持続させることにフォーカスしないといけないんだろう。

 

継続は力なり。古代の人々はいい言葉を残していると強く思う。何ごとも、あきらめないことが肝心で、自分の満足が行ってなかったとしても、まあこれくらいやれたからいいでしょう、というマインドを常に持ち合わせつつ進めること。これができるかできないかの差が大きいということはようやくわかってきた気がした。今までも散々言われてきた。あきらめたらそこで試合終了だぞ!って。大学受験の場などで耳にタコができるほど聞いた。でも、そこはあきらめるというものが選択肢として存在しなかったから、必然的に考えなかったような気がする。ただいまはいくらでも、あきらめようと思えば諦められる状況にある。僕がこういう思考をやめたら、元の通りネガティブの沼にはまって抜け出せなくなるだろうし、全く持って自分の更生というものができないだろう。決して今も完全になんかできているはずがない。だってそういう風なマインドセットをしようと思って3日目だから。そりゃ、ちゃんとできてはいない。けれども、何となくではあれけれど、大事なことをきちんと見れるようにはなってきたかな。

 

本の話に戻ろう。今日何をしていたか。本を読むことに没頭してほかのタスクなんもやっていない。嘘だろ。こんなこと今までの人生の中にあったか?少なくとも本とは無縁の世界に生きてきた人間だったので、この感覚は初めてのものだった。文章に飲み込まれるという感じ。何も文章に圧倒されて飲み込まれているというのではなくて、文章の論理展開に目を見張るものがあり、そこに至極滑らかにひきつけられているとでも言おうか。自分が思っていた状況や、これからに必要なスキル、先人たちの知恵など多岐にわたる。それはただ、読んではい終わりというものであってはいけない。そこから得られたものを自分に取り入れて、しっかりと考え方を改めていく、そうやって自分を変えていく、そこに大事な要素があるとみている。今は幸いにも時間があるから、そこをしっかりと進めることが大事。

 

こうやって継続してブログ記事を書いてみることも、習慣として取り入れられるのならば確実に進めるべきことだと思うし、何もこうやって文章を自分なりにまとめてみることが悪いことにはならない。今までの僕だったらこうだ、え、ブログ?それ書いて何の意味があるの?え、本?それ読んで何の意味があるの?え、勉強?それ学んでなんの意味があるの?

 

 

 

 

知らん。

 

 

 

 

んなこと。

 

 

 

 

 

ただやってみたいからやってるんだ。

 

 

 

 

 

 

1つ目的があるとしたら、自分を変えるために。

 

 

 

 

 

 

明日の自分が今日の自分より進化していれるように、といったところだろう。

 

 

 

 

 

 

 

だから、明日もブログを書いてみるんじゃないか。