2月まとめ

2月のまとめをしよう、まだ終わっていないけれど

 

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2月いろんなことがありすぎて、何があったっけ、となった。あらゆる自分の行いがどのような思考をもたらすか、を考える期間にもなった。

 

というより、新しいことの連続でしかなかっただろう。

 

新しいこと、しか、なかったといってもいい。

 

気が付けば、いろんな意味で刺激的な月になっていた。

 

コロナのせいといえばコロナのせいかもしれないが、自分のあらゆるバランスが崩れていたことにも気づいた。

 

思考回路というのは外部環境に大きく依存している。いや、自分に内在するものがなんで外部環境で決まるんだ?となっていた。いや”内”は”外”があってこそ初めて定義されるんだから、ある意味当然の話である。その環境が大きく変化しているということに今まで気づけていなかった。世の中や社会は連続的に変化する。急に何かが起こったことに対する変化というのは誰だってわかるものだろう。ただ、連続的に変化しているときに人はその変化に気づきにくいということをよく理解した。そのつもりである。ようはコロナウイルスと家庭環境の二つの要因が原因で、自分の思考がより内向きになりなかなか立ち直れない日々が続いた。実際今もあんまり立ち直れてはいないけれども、その考え方に気づくことはできた。だからあとはそこを直そうと思って直していくだけ。

 

つい最近あるエッセイを読んだ。つい最近と言っても見つけたのはちょっと前で、それから目を背けていた。ただ、あることがきっかけでそのエッセイを読み直そうと思った。その中のある言葉に僕は惹かれた。

 

”だからこそ、常識を破れなのだ。点を疑わずにそのまま放置すれば、それはただの点であり、何の役にも立たない。でも、これはいいのだろうかと疑問を持つことで、点に意味を持たせることができ、さらには他の点との繋がりも生まれ、凝り固まった常識を壊していけるのである。”

 

なるほど。凝り固まっているのか、とそれを読んで気づいた。その前のところで当たり前はその人の生きてきた年数分の主観の塊だ、とも書いてあった。なるほどなるほど。僕の思考のこりがすこし取れたような気がした。というよりかは、取らないといけないなと思った。ここのスキルが足りていない。このことについてしっかり自分で自分を見定めて生きていかないといけないなと強く感じた。

 

対話というのをしてみて初めて気づけることがある。対話といえば大げさかもしれない。ただ、自分の思っていることをありのままにさらけ出してみるのも悪くないのかもしれない。久々にこんなに親と話をした気がした。僕はあらゆる思考を隠すということをしていたから、逆に新鮮な感じ。

 

失敗をきちんと認めるところからが僕のスタートだろう、自分を受け入れるところと他人をきちんと受け入れるところから僕はもう一度スタートする。

 

気づきを得たうえで普通に戻れとあらゆる人から言われた。自覚がないところが大きいけれど、今僕にできることはそれに素直に従って自分のできること、するべきことを着実に進めるほかないんだろう。

 

あとはそれをする意思をきちんと持っておくにこしたことはない。