もも

桃の節句

 

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ちょうど今日は桃の節句だったらしい。ひな祭りという言葉が世間をうずめき、数々のお人形が街を彩る。そんな日なのかあ。と。こうして自粛しつつ自宅で生活するようになってから、季節を感じることがとても少なったように思う。前までは、自転車にかなりの時間を割いていたので、そこで見る景色から季節を知っていた。山がアオアオとして、汗が止まらなくなってきて、浴びる海風の湿っぽさにちょっといらつきつつも、ああようやく夏なのかなとか。かと思えば、木の葉の紅葉、黄葉が進んで、だんだんなんか過ごしやすくなってきたなと思うような季節になれば、もう秋も深々としていたとか。気が付けば冠雪している箇所が出てきて、肺に取り込む空気の冷たさを感じたり、ハンドルを握る手が凍ってきて手袋をしていたりとなれば冬も厳しいねえだなんて思うとか。最近はめっぽうそういったことが無くなってきてしまったなというように感じる毎日だ。

 

もともとゲシュタルト崩壊を感じやすいせいか、漢字の成り立ちについてふと考えることがある。漢字の成り立ちと、その漢字その音がどうしてそうなったのか。例えば桃(もも)について考えてみたくなった。ちょうど桃の節句だからね。ももというのは、ももっとしている?ことにあるのかな(笑)とか考えてしまうのだ。そういう日常に疑問を持ってしまうのは、もしかしたらよくない癖なのかもだが、たまにそういうことに頭を巡らせてみるのもいいだろう。

 

漢字に関しては、桃が木になる様子を表したところがそのまま映しているように感じた。だとしたら、林檎とかも同じような感じになるのではないか?という疑問も併せて湧いてくるけれど、それはそうとして。葡萄はどうなんだ?とか。まあそれはほっといて。桃は、木に実がついているときに漢字が表すような実のつき方をしているのではないだろうか。そこに元からあった、もも、という読み方を当てたという流れになっていると個人的に解釈した。あってるかどうかはこれを書いている時点ではしらない。

 

読み方についてもなんとなく自分で答えを得た。というのも、も、というひらがな、じつはももの形にそっくりではないだろうか。この、も、の、し、の部分それを2つ重ね合わせてあげればもも、確かにももの果実の形をしているように見えてくる。そこで、なんでししじゃないんだよ!とかいう疑問もわいてくるけど、それはどうでもよい。

 

というように成り立ちを考えてみること、そして自分で意味を与えてみて先人たちがなぜこの物体をそう名付けたのかというところに迫ってみること、意外と面白いなというところに気づいたのは、大学に入る少し前くらいのことだろう。きっかけはどうであれ、それを適度に楽しめればいいんじゃないか。

 

それを考えだしたら、雛という感じってどこから来たの???とかいうことになって眠れなくなるから、この辺にとどめておこう。また時間があるときにでも思索を巡らすだけでいい。